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あかりの日にちなんで

皆さんこんにちは。
アネストの井梅です。

さて、10月21日は、あかりの日でした。

エジソンの「3大発明」は、
電球・蓄音機・映写機です。
 

 

 

 

 

 

 

そのひとつ、白熱電球が完成したのが
1879(明治12)年の10月21日です。
 
10月になると、ハロウィンがあり、
この時期から街には様々な電球の
イルミネーションが綺麗に彩られます。

今回は、このあかりを発明した
エジソンをお伝えします。

エジソンの発明は
実験室の設置から始まっているようです。

10歳で家の地下室に実験室を設けました。

その後アルバイトの汽車の中にも
実験室を持たせてもらっています。

ここで薬品の落下による火事を起こし、
追い出されたエピソードは有名です。

そしてエジソンは、
23才の時ニュージャージー州のニューアークに
大きな研究室と工場つくり、
特許を核に事業展開を進めました。

それから6年後の1876年に研究所を
メンロー・パークに移します。

ここが有名な発明工場です。

ここでの研究成果は凄く、
炭素通話機、蓄音機、白熱電球などが
生み出されています。

そして白熱電灯の発明は、
1879年、32才の時でした。

電灯の研究は、エジソンが
生まれるまえから始められていたようです。

そして抵抗体に電気を流すと光を放つことは
当時良く知られていました。

エジソンは大きな電気抵抗をもつ素材として、
木綿糸を炭化した炭素繊維を使用しました。

これをガラス球の中に入れ、
真空に近い状態までに空気を抜いて
電気を流したところ、当時としては画期的にも
45時間も輝き続けたのです。

しかしエジソンはこれでは物足りなくて、
もっと長時間点灯する電灯の研究を続けました。

 

 

 

 

 

そのためにはフィラメントを
改良することが重要であり、
この材料の研究に試行錯誤の実験が続いたのです。

フィラメントとは電球の中にある
細い線状の発光部です。

ここに電流を流すと高温になり
光を発する仕組みになっているのです。

これは融点が高くないと燃え尽きてしまいます。

最初は木綿糸や友人のヒゲまでも、
素材の対象として実験されたという
エピソードがありますが、
当然すぐ燃え尽きたそうです。

そのような中、
机の上にあった扇子に使われている竹を見て、
それを素材にさっそく実験を試みまし。

これが凄い事に200時間も点灯したそうです。

これからエジソンは
世界中の竹を集めては実験を繰り返すといった研究を
続けました。

これは竹の炭化材を利用した
フィラメントの研究であったが、
何と集めた竹の種類は1200種類にもなったそうです。

そして繰り返し実験の結果、
最長点灯時間を記録したのは、
何と京都八幡宮境内の竹林から採ってきた
孟宗竹でした。

それは最長で900時間も点灯しました。

結局エジソンは、
この京都八幡市の竹で白熱電灯の実用化ができ、
タングステンのフィラメントが出現するまで
12年近く世の中を照らすこととなったのです。

現在は、
白熱灯のフィラメントに
このタングステンが使われています。

このフィラメントは約2500度の高温になるが、
タングステンは融点が
3500度であるため融けないのです。

またアルゴンガス等を封入して
高温での蒸発を防ぐ工夫もしています。

さらに不活性ガスを入れると熱が奪われるため、
タングステンを二重コイルにして熱損失を防ぐ
といった新たな工夫も加えられているのです。

30から40才代のエジソンは、
個々の商品を組み込んだシステム化の発明に
方向が移っています。

1878年、白熱電灯を研究製作するため
エジソン電灯会社を設立し、
1882年、エジソンはロンドンとニューヨークに
中央発電所を作って電灯照明事業に乗り出しています。

この電灯会社は1990年にエジソン系の会社を統合して、
「エジソン・ゼネラル・エレクトリック」となり、
1992年には
トムソン・ヒューストン・エレクトリックと合併して、
「ゼネラル・エレクトリック(GE)」と
発展しました。

GEと言えば多くの経営者達が手本としている会社ですが、
こうして見るとエジソンも、現代につながる身近な存在として
感じることが出来ますね。

それでは!